生物学の問題を数学や情報理論、コンピューターなどを活用して解決するということに関心を持っています。
生物のシグナル伝達系の勉強をしていると「こういう刺激が来ると、この経路が活性化してこのように応答します」というのが多々登場します。しかし同じ経路が多様な刺激によって活性化し、多様な応答を引き起こすことが知られています。
例えば、ERKというMAPK経路の活性化は様々な成長因子によって引き起こされ、様々な応答を引き起こします。
「EGF刺激を受けた細胞が増殖する」「FGF刺激を受けた細胞が分化する」「NGF刺激を受けた神経が軸索を伸長させる」などです。
個別の刺激と応答に着目している限り、こうした知見を蓄積させるだけで理解できるかもしれませんが、複数の刺激、応答について考えると「同じ経路を異なる情報伝達に使用しているにも関わらずなぜ情報は混線しないのか」という問題が立ち現れてきます。
「細胞を増殖させるつもりが分化してしまった」では生体機能を調整できないはずです。
大学生だった当時の私は生物学を学び、シグナル伝達系について考えるといつも「個別論としては正しいのかもしれないけれど、それは全体の説明にならない」と感じていました。しかし、システム生物学の授業を受講した際に、この問題を解く鍵の1つを見つけたように感じました。
その鍵は「シグナル伝達経路の動的、定量的特性」にあると考えています。
「この経路は上流の一過的な活性化には応答できるが、持続的な活性化には応答できない」「この経路は感度が低くて弱い活性化には応答できない」「この経路はall-or-noneな応答しかできないが、こちらの経路は上流の活性化の強さに応じて段階的に応答を制御できる」。
このような経路ごとの特性が組み合わさることで、途中の経路を共有していても刺激によって、共有部分より上流の経路から異なる強度やダイナミクスで情報を受け取り、その強度、ダイナミクスの違いが、下流の応答の切り替えに寄与しているのでしょう。
このような理解を進めていくためには「各経路活性化の測定と定量的解析」「複数の経路、多数の因子の同時解析」「シグナル活性のダイナミクスのシミュレーション」などが必要になり、そのためには数学やコンピューターの力が重要であると考えております。
参考文献
※太字, 下線は私
- S. Sasagawa, Y. Ozaki, K. Fujita, S. Kuroda, Prediction and validation of the distinct dynamics of transient and sustained ERK activation. Nat. Cell Biol. 7, 365–373 (2005). link
ERKの異なる活性化時間パターン(一過的、持続的)がどのようなネットワーク特性によって生まれているのか実験とシミュレーションから解析しています。
- H. Kubota, R. Noguchi, Y. Toyoshima, Y. Ozaki, S. Uda, K. Watanabe, W. Ogawa, S. Kuroda, Temporal Coding of Insulin Action through Multiplexing of the AKT Pathway. Mol. Cell. 46, 820–832 (2012).link
インスリン刺激が引き起こす複数の応答(グリコーゲン合成、タンパク質合成、糖新生抑制)に関わる各下流経路について、上流のどのようなダイナミクスや強度の情報が効果的に伝達されるかを明らかにし、インスリン分泌の時間パターンによる応答の切り分けの機序を解析しています。
- S. Uda, T. H. Saito, T. Kudo, T. Kokaji, T. Tsuchiya, H. Kubota, Y. Komori, Y. Ozaki, S. Kuroda, Robustness and compensation of information transmission of signaling pathways. Science. 341, 558–61 (2013).link
情報理論における相互情報量という概念を用いて経路ごとの情報伝達量を定量し、刺激の種類によって各経路をどのように使い分けているのかを解析しています。
- T. Wada, K. Hironaka, M. Wataya, M. Fujii, M. Eto, S. Uda, D. Hoshino, K. Kunida, H. Inoue, H. Kubota, T. Takizawa, Y. Karasawa, H. Nakatomi, N. Saito, H. Hamaguchi, Y. Furuichi, Y. Manabe, N. L. Fujii, S. Kuroda, Single-Cell Information Analysis Reveals That Skeletal Muscles Incorporate Cell-to-Cell Variability as Information Not Noise. Cell Rep. 32, 108051 (2020).link
同じ経路でも細胞ごとに応答が異なるものの、同じ細胞の中では情報伝達のノイズが小さいことや、細胞ごとの応答の違いが組織などの細胞集団レベルの応答制御の正確性を向上させていることを情報理論解析から明らかにしています。
総説
- T. Wada, K. ichi Hironaka, S. Kuroda, Cell-to-cell variability serves as information not noise. Curr. Opin. Syst. Biol. (2021), doi:10.1016/J.COISB.2021.04.010.link
シグナル伝達系の情報理論解析に関する総説です。
- T. WADA, K. HIRONAKA, S. KURODA, 細胞のばらつきはノイズではなく情報である. 生物物理. 61, 288–292 (2021).link
細胞ごとのばらつきの情報理論解析に関する日本語総説です。